厚生労働省の統計によると日本の人口は2008年の1億2808万人にそのピークをつけ、その後2025年には1億2433万人にまで減少しました。
更に2025年の年末には1億1700万人にまで減少するであろうことが推測されています。
テレビや新聞などオールドメディアではこれを少子化問題として取り上げ、世間の意識としても日本の未来を危ぶみ、日本のみならず欧米の評論家も "このまま少子化が続けば将来日本国は滅ぶ運命にある" としています。
しかしながら私はこの種の話を誠に滑稽な話であるとして受け取っており、それは少子化を悲観する現代人の下記のような理由からであります。
「少子化により日本経済が縮小するから」
このような理由で世間は "少子化問題" として将来を悲観し騒いでいるわけであります。
言わば子供たちの命を物質的経済価値と同じとし、更に未来の子供たちの命を自分たちの老後の保証としているとも受け取れるわけです。
江戸時代初期にはおよそ1600万人であった人口が幕末にはおよそ3000万人を超えるまでに至りました。徳川政権下では争いも少なく農耕の発展などによる理由もあったことでしょう。また昭和から平成、令和にかけての現代では医療技術の発達や物質経済の発展による労働者の確保など新たな環境に適応する必要性もあったことでしょう。
しかしながら人口減少を嘆くその理由を物質経済の論理に結びつけ更に自分たちの老後の支えがなくなるというものにすることに滑稽さを感じずにはいられません。
現代は核家族化で別居が進み親子三代ひとつ同じ屋根の下で暮らし子が親の面倒を見るという時代ではなくなったという時代背景もその一因であるとも思います。
少子化がなぜ問題なのか
"社会保障費が足らなくなるから"
つまりそれは未来の子供たちの命を経済的価値や我が身の保身のためとしているかのように聞こえます。
しかしながら私たち現代に生きる人々はその解釈と意識の低さに自身で気づいておらず多くの人々がそれら他者の話を鵜呑みにし共感し自身でもそう信じ未来の少子化を案じています。
確かに子孫を繋ぎ一族の血(精神)を守り家系を繋ぐことは大切なことだと思います。職人による伝統工芸の匠の技や文化的価値を引き継ぐことも重要でしょう。時には農耕の維持に必要な数としての後継ぎが必要なこともありましょう。それらは当然のことであります。しかしながらその話とこの話は一緒ではありません。「それはそれ、これはこれ」です。
少子化がなぜ問題なのか
現代に生きる私たちがその理由としていることがいかに物質主義における利己的な理由であることか。
今まさにそのような現代の世の中に生まれ降りようとしている天の子供たちの心境は如何なるものか。
未来の尊い子供たちの命の価値を数量と経済の価値と同じとする社会。
人口はその数が多ければ良い
80歳、90歳と長生き出来るほど良い
人口が多ければ経済が発展し、少なければ経済が衰退する
世の中何事も"数"が多ければ多いほど良い
そのような社会(集合)意識に疑問に感じ、またそれらを自身の生き方に照らし合わせ自らに問い直す人間は極めて少ないように思います。
目に見える "数" ではなく「質」というものに意識が向けばこの少子化問題に対する私たちの解釈も変わる日が来るのかも知れません。
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